2018年8月27日月曜日

[ 時は必ず流れる。 ]


今年春、鎌倉から滋賀までの445kmを共に歩いた同志 いがらし‘IGA’しんちろうが主催する「Snack5thAnniversaryParty」が一昨日、開催されました。

このパーティの話は共に歩いていた4月の時点で盛り上がっていた。

鎌倉から共に歩んで着いた2日後となる4月28日、東近江市 野々宮神社での舞作品公演が無事終わる。
それから、5月から6月までは一ヶ月ぐらい明日のジョー的灰色状態の「極み」を体験していた。
片道歩くならば、帰りも往復、歩んで舞るべきだと深く反省した。
僕らは片道歩いたけれど、帰りは普通に新幹線で帰ったのだ。
身体が追いつくはずない。
完全に、意識と身体のバランスが崩れ一人一ヶ月ほど放心状態となっていた。

しかし、その間もIGAは相変わらずのパフォーマンスで仕事を続けていた。
本当に偉いと思った。

445kmの道のりを共に歩んだ日から数ヶ月。
一昨日8月25日、共に歩みながら出演依頼を受けていた「 Snack5thAnniversaryParty 」が開催。
このステージ。一舞一生 - one stage one life -
勝手ではあるけれどダンサー人生20年ほどの間で初めての挑戦をした。

それは「声」を使うことだった。

この数ヶ月できづいたことがあった。
僕は今日までストリートダンスのジャンルであるポッピングダンスにおけるヒットすなわち筋肉の収縮にひそむ「ヤバさ」に取り憑かれてきた。
暗黒舞踏的には「痙攣」である「ヒット」。
痙攣に取り憑かれ追求しているコンニチ。

「喉の筋肉収縮と舌など様々な微細な身体活動」と「意識」と「呼吸という内と外の中間要素」の三点。

この三点が合わさった時に生じる表現、声。

声は身体表現であることを強く再認識。

この声は、身体表現。

声で踊る。

しかしながら20年ほど声を無くして踊ってきたダンサーからすると、人前で声のパフォーマンスをするほど恥ずかしいことはないなー。。。とか思いながら思い出した。

いや、今日まで中学ならび大学とかでの講義は主に『声』だったよな。。。すなわち「喋り-語り-朗読」。
というか講義でも喋りながら踊ったり、奏でながら喋ったりしていた。

そして会話。
そもそも僕ら人間は「話す」ということを日常としている。
声を使わない日は、あまり無いと思う。(ヴィパッサナー道場では9日間喋らなかったけど。)

去年の鎌倉から島根までの767kmと今年の鎌倉から滋賀までの445km合計1212kmを歩いている道中、ずっと心のなかで時には声に出して朗読していた「詩」がある。

宮沢賢治 「 告別 」

この詩は長いけど、僕が中学生のときに北海道 ヒラギシ THA BLUE HERBのライブ映像でボスさんが告別を朗読していたのを聞いて雷のような衝撃を受けた。
そこから、告別の全詩を紙に書いてトイレにずっと貼っていた。

きづいたら暗記していて、たまにガクーーンとなるときは一人で告別を朗読した。

そして滋賀から帰ってきて2018年6月4日からほぼ毎朝7時15分に線路沿いを歩きながら「告別」と「アメニモマケズ」を朗読した。

なんだろう、やっぱ言霊って存在するのだろうか。。。
とても、きぶんが良くなる。。。
Big Respect宮沢賢治。彼から学ぶ想いで常に朗読している。

朗読時は必ず歩きながらカリンバを弾いていた流れで、きづいた。
朗読のリズムと音楽のリズムを協調させることは、それこそ踊ることなのではないだろうか。

声で、踊る。

一昨日、本番直前までのクリエイションでDJを担当していただいた「 kepo 」さんには大変ご迷惑をかけつつも完璧なバックDJをかましてくれて心より感謝とBIG RESPECT。

ともあれ自分的には声をだす初作品「アメニモマケズ - Tree of Life -」は五周年を迎えるSnackと、そのオーナーであり共に歩いた同志 いがらし‘IGA’しんちろに捧げた。

この挑戦には兆しと共に課題も同時に深く学んだので引き続き、取り組んでいきたいと思いました。

来年に向けて創造している舞台作品「アメニモマケズ - Tree of Life - 」の兆しが少し見えたように思える。
引き続き、追求し邁進して舞る。


これからIGAとSnackが迎える新しいステージが始まったように、自分にとっての新しいステージも始まったように思う。

時は必ず、流れる。

一歩一歩を大切に

志は不動でアレ

BIG RESPECT & BIG THANKS
いがらし‘IGA’しんちろ
kepo

そして、一昨日の空間を共に有するために最も遠くて北海道札幌から集まってくれた歩んで舞る勝手に応援団 ミツバチ軍の方々。
出番前後、バタバタでしっかり挨拶もできなくて申し訳なくも、、遠方からお越しいただきまして誠に有り難うございました。
一昨日の舞台音源は下記URLにて御視聴いただけます。
OpenからCloseまで、上から一連の流れのままプレイリスト化されています。
BigRespect
biosphere
Marek Iwaszkiewicz
Diego Errazuriz

OBAIGAラジオは必ず、いつか(近々と祈りつつ)週一とかでのラジオ放映実現を目指します。(てか俺がやりたいだけだけど。)


One step , One Life
OBA


photo by Ayumu NUMATA

2018年8月3日金曜日

[ 小畑家ノ表現 ]

僕はA.C.Bを常々、求めている。
対極的要素が均衡を保ったときウルトラCが発生する。
すなわち陰陽の調和が生じたときネクストクリエイション-新しい創造の次元が展開する。
藝術は尽きるところ「和」を目指していると確信している今日。
人と人を繋げたり、言葉や国境を越えた感性に響き合わせるコミュニケーションは、この時代だからこそモットモット必要とされていくのだろうなーと近況を振り返るとそう強く感じる。
表現学部が設立されている大学から地域で広がるフリースクールまで。
様々な分野で「表現」なり「アート」が求められているのを体感している。
僕は1986年に生まれバブル崩壊後中小企業にバブルが響いている時代に育ち、TV中継では大規模なテロ事件から大震災が流れている環境上「破壊の世代」と呼ばれていた。それは「無気力な世代」どこか諦めている無関心世代とも言われた。
その世代が数年前に「三十路祭り」を創造し、僕はそのとき破壊の世代が創造へと切り替わった瞬間に身を震わせたのを今も覚えている。
破壊の世代だからこそクリエイティブする。
創造は常に「兆し」に生きている。

この本質的「クリエイティブ時代」において、僕ら小畑家は基本的に音楽や踊りで展開しています。
僕も弟も三十路を越えた少年となった。
けれども今日も、こうしても「今の表現力」でセッションできること。
そして、そのセッションは常に良き意味でストイックであり続けていること。
さらに、生きる姿勢として「ステイハングリー,ステイフーリッシュ」で在り続けていることに。
兄弟を超え同じ表現者として心からBig Respectをシンガーソングライター小畑 仁に感じている。

小畑兄弟のセッション動画を公開するのは勝手ながらネット上至上初です。
どうでもいいーとか思うけど、言ってみます笑
ただ、弟でもあり同志アーティストである「小畑 仁」が世の中に良い感じで一人一人に共鳴し全世界へと響いていくことを固く願っています。

相も変わらず前置きが長くなりましたが恐れ多くも最後もまで御拝読いただきました方、こちらが小畑家の表現となります。
夏真っ盛りの今夜、盆踊りを観る延長でお楽しみください♪





ps
踊りのテーマは
「此の身体そのものが小さなキャラバン」
です。


OBA