2018年10月19日金曜日

JACLOT × OBA コラボ ロングTシャツ通常販売開始



【 L.O.L LongTshirts 】通常販売を開始いたします。

胸元に宿る、このロゴデザイン L.O.L(Labyrinth Of Love)は2017年鎌倉市より島根県 出雲大社までの767kmを徒歩にて歩み、その道中で頭に浮かんできたロゴスです。
ミソギの旅路に生まれたシルシ。このシルシ、ロゴスが皆様の胸躍る日々を彩ることを願っています。


【 概要 】

▽ パターン ▽
Black & White

▽ Black

▽夜道の安全として反射光機能付き。



▽ White 


▽White&Black共通ポイント

-生地素材-
コットン100%

-タグ-


-右手首JACLOTテキストロゴ-


-正面左下JACLOTロゴポイント-


- 背面JACLOTロゴ - 



▽ サイズ ▽
M / S 

▽サイズ着用イメージ写真
ブラック M / ホワイト S



▽料金▽
 ¥5,550 - 送料別

▽お申し込み先▽
obadancech@gmail.com

※記入欄※
1,お名前
2.配送先
3.色種 / サイズ / 枚数
4,自由欄
※個人情報は厳戒な管理のもと大切に保管をし一切の漏れを防ぎます。

▽お支払い方法▽
指定の銀行振込先に御入金が確認され次第、指定の配送先へと郵送させて頂きます。
(お手数ですが入金完了の後、念の為ご一報いただけますと幸いです。)

▽ 到着期間 ▽
7日〜10日程度


▽ JACLOT Artist Series OBAについて ▽
JACLOTはカナダ ウィスラーのローカルストリートウェアブランドです。アートを通して夢を追う人達にエールを送る事を目指しております。今回の「Labyrinth of Love」tーシャツには“純白の愛“を持って立ち向かい、”光の愛“で暗闇を照らす、その様なテーマが込められています。 何かを成し遂げるのは簡単な事ではありません、しかし純粋な愛を持って向き合えば暗闇も照らす事もできます。 このtーシャツで少しでも皆様の夢を後押しできれば幸いです。
JONA from JACLOT 



- L.O.L(Labyrinth Of Love) LOGOs - 
Design Director / OBA
Creative / Yosuke Kaneko
named / Yu Souda

- L.O.L Long Tshirts - 
JACLOT Artist Series OBA

- L.O.L Big Respect&Thanks -
JONA
DAISUKE OMIYA
NAOKI KUWATA from DOMO
HIDEKI OSHIMA from ATOLO FILMS
Yoshihiro Saeki
IGA from OTONA
SeeSaw - KAMAKURA FAMILLIA
creator and ALL Families 


I wish you every happiness in your life.


- 注意点 - 
正面プリント箇所は特殊プリントの為アイロンはタオルを一枚かませることをオススメいたします。




#ミツバチ軍特典有り #ミツバチ入軍方法(お任せします)  #ミツバチ軍拡散協力超絶感謝

2018年10月14日日曜日

映画「BAKEMONO」•「ヒノイリの風」上映イベントのお知らせ




12月8日(土)映画「BAKEMONO」、最新短編作品「ヒノイリの風」が
鎌倉の映画館、川喜多映画記念館にて上映イベントを開催します。

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【 川喜多映画記念館上映イベント 〜鎌倉シネサロン 映画をつくる×みせる〜 】
日時:12月8日(土)
・午前10時半〜12時半(トークゲスト:監督 大嶋英幹・主演 OBA)
・午後14時〜16時(トークゲスト:製作 辻卓馬・脚本 木村吉貴)
場所:川喜多映画記念館:http://www.kamakura-kawakita.org/
料金:一般 500円 小・中学生 250円 *入館料含む
一般チケット発売日:11月17日(土)から
チケット取り扱い窓口(鎌倉市川喜多映画記念館):0467-23-2500
島森書店(鎌倉駅東口):0467-22-0266
たらば書房(鎌倉駅西口):0467-22-2492
上州屋(大船駅東口):0467-43-1000
※チケットが完売した場合はご入場いただけません。
鎌倉市川喜多映画記念館
〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-2-12
TEL:0467-23-2500
HP: http://www.kamakura-kawakita.org
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日休)
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何とぞお誘いあわせの上ご来場賜りますようお願い申しあげます。

BAKEMONOクランクアップ時に綴った文を下記添付いたします。
時を越えて三年後のイマ、感覚が蘇り改めて想います。
映画における身体表現の我が処女作「 BAKEMONO 」を是非、皆様に観て頂きたいです。

また去年2017年、鎌倉から島根県出雲大社まで歩み踏破した後に撮影した「ヒノイリの風」も同時公開。767kmを一本歯と地下足袋で歩み得た足の甲はイマまでに無い一歩を踏みました。

下記BAKEMONOブログに綴った文となります。
2018年12月8日日本初上映に向けて、お時間あるときに拝見していただけましたら幸いです。(長いので。)

では、引き続き邁進して舞る。

one step one life
OBA

- ハルと共に生きて 

2015年12月7日月曜日
https://bakemono-info.blogspot.com/2015/12/oba_7.html



クランクアップの夜。


久々に、弟とお酒を飲んだ。



そのときに、「風情」について話をした。

子供の時は、「風情」こそ全てだったと思う。

朝、草から立ち上る微かな香り。

雨の日、草原から飛ぶバッタ。

夕日と自分。そこに見る、自分の影…。



僕らは、ギリギリの外遊び世代。

あの頃は、ネットもパソコンもスマホも無く、子供は外で遊ぶことが普通だった。
現代のように、自然と遊ぶことを一つのステータスとして考えるようなことはなく、単純に外で遊んだほうが楽しいから、自然とそこへ繰り出していく。
その自然には常に発見があり、同じことは起こり得なかった。
そんな毎日の移り変わりは、常にロマンに溢れていて、ドキドキしたものだ。

大人になった今、僕らは、「風情」を感じているだろうか。

やること全てに意味が付きまとい、無条件という概念さえ死にかけている現代。
「ただ、やりたいから、やる」ということが、何だか申し訳なくなる時代。
けれど、全ての創造の核は、「ただ、やりたいから、やる」という、初期衝動ではないだろうか。

やりたいから、やる。
絵を描きたいから、描いている。
歌いたいから、歌っている。
踊りたいから、踊っている。
映画を創りたいから、創っている…。

この「やりたいから、やる」と同等に、否、世間一般には、もはやそれ以上に重要な要素と思われている”趣旨” 。
「それをやる意義はなんですか?」
「それをやる意味はなんですか?」
実に欧米的な質問ですね、と、フィリップ・プティが答えていたのを思い出す。

子供の作品には、”趣旨”などない。
どの絵をとっても、どの歌をとっても、どの踊りをとっても、
彼らは、「ただ、やりたいから、やっている」。

もしも、彼らに”趣旨”があるとしたら。
唯一、それは、お母さんに喜んでもらえたという感動だったような気がする。

どの時代の、どの優れた芸術家も、子供たちには驚愕してきたものだ。
初期衝動から始まった自己表現は、徐々に技術も身につけていく中で、不要な認知と不要な前提、さらには、過程よりも結果が大切になっていき、そうして、子供から大人になっていく。
”地球屋のおじいさん”がくれたエメラルドの原石は、どんどん磨かれていくことで、実につまらないものになっていく。
そうなってしまった大人の芸術家にとって、子供たちが描く絵ほど、ショッキングな出会いはないという。
何より、それを描く子供たちの恍惚とした表情そのものに、芸術家は驚愕するのだ。

誰しも子供だったんだよなって、当たり前なことだけど、考えてしまう。
大人になった今、「風情」と「やりたいから、やる」という無条件な初期衝動は、失いたくないと思う。

「それを無くしたら、寂しいだろうね」
久々にお酒を酌み交わした弟が、締め括った言葉だった。

そんな会話を弟としながら、一週間前のクランクインからクランクアップした今日までの出来事を振り返っていた。

子供の頃、みんなで放課後に田んぼへ集まって、山に入り、自分たちだけで無駄にミッションなんかをつくって( できるだけ高い木に登って、できるだけ高いところから飛び降りる、とか、そんなミッション)、それができなくて本気で泣くヤツが現れたりして、そこで励まし合って頑張ろうとかってなって。
そこに生まれたドラマ的な感覚は鮮明に残り、今思うと、これまでに読んで感動した小説などよりも濃厚に、自分に対して影響を響かせているのを感じる。

映画「BAKEMONO」の撮影現場は、山でミッションに挑戦する少年少女たちのような、無条件丸出しの人たちが集まっていた。

とうとう今日、クランクアップしたんだ。

クランクインからクランクアップまで、まさに怒濤の一週間。
個人的な感覚では、一年ぐらいの濃密さだった。
そんな濃密な一年フィールの一週間が、今日、終わったんだ。

本当に、久々の感覚だった。
撮影が終わってから、生きた心地がしていない。
このままでは、無気力状態になってしまう。
できれば、明日が来ないでほしいとさえ思う。
このまま次の世にいけたら、どれだけ幸せだろう、などと思ってしまう。
「あしたのジョー」のラストシーンだ。真っ白な灰症候群が訪れた。

初映画。初演技。
今までダンサーとして生きてきて、新たな試みだった。
どこかで自分は、「身体表現者たるもの、演じることは踊ることと同義語なんではないか」と甘んじていたように思う。
全くもって、甘んじていた…。
愕然とした。
演技とは、まるで禅問答の世界だった。
人が人を演じるということは、鏡と鏡を合わせるようなもので、
その合わせ鏡の間に立つと自分の姿が鏡から鏡へと写り広がり、無数に続いていく。
たとえば、人物Aという役柄があった場合、100人の演者がいたら100パターンの人物Aが出来上がるということなのだ。

この世界において、今まで自分がダンスによって蓄えてきた慢心は、即刻捨てなければならないと腹を括った。
数えきれないぐらいの、試みと放棄。
トライアンドエラー。
永遠に続く、合わせ鏡の中の自分とハル。

その鏡の中で、とりわけ自己主張の強い自分を発見する。
それは、今にしか興味をもたない自分だった。
今この瞬間瞬間の、創造に全てをかける自分。
用意された準備を、その場で全て投げ捨てる勇者。

そうか、
最低限のベースは手に持ちつつも、瞬間にかけて即興をしたって良いのでは。
そう思った。
すなわち、アドリブだ。
アドリブは、LIVE。生もの。
その瞬間から、ドキュメンタリーフィールが香り出す。
その即興性は、実写映画ならではの事件なのだ。
そう感じてからというもの、ハルとの関係が少しずつ苦痛から楽しみへと移っていった。

ハルの生き方から、どんどん学びを受ける。
ハルの感覚から学ぶことは、計り知れなかった。
生と死の狭間に生き、今に全てをかける男。
彼は、僕に色々教えてくれた。
最後まで、ハルそのものになりきるのではなく、ハルが自分の内に訪れてくれるような感覚だった。
訪れてくれないときもあって、非常に焦ることも多々あったけれど…。
ただ、肝心な時は必ず訪れてくれた。

ハルから見える風景は、「風情」に溢れていた。
木々の揺れから葉っぱ一枚一枚の表情が見えてくる。
葉っぱ一枚一枚の、陽の反射があることを知る。
風が、目の前で踊ってるように見える。
匂いが鮮明になる。
鳥の声。葉っぱが揺れる音。
この世に響く音の全ては、言葉であることを思い出す。
子供の時に感じた「風情」が、そこにはあった。

ただ、ハルの場合の初期衝動は、刀の道で生きることだった。
それは、自分が今まで生きてきた過程の中で、正直に言うと感じ得ない感覚だった。

ダンスバトルに命をかけていた即興ダンサーの感覚が近いと思ったりもしたけれど、
それは決して生と死の境目ではない。
ニューヨークで銃を突きつけられたとき死を恐れた感覚は覚えているけれど、もしも自ら刀を持ち、それを抜いていたら、もはや後戻りは絶対にできなかっただろう。

生きるか死ぬか。
その生と死の境目に生きるということを、感じたことはなかった。

ただ、一瞬のヒントはあった。
それは居合いでの稽古中、師範に真剣を突きつけられた時のことだ。
もし師範が、気がふれていきなり僕に切りつけてきたら、絶対に僕は切られる。その感覚は、銃口を頭に突きつけられているときのような、異常な恐怖だった。

その一瞬の感覚が芽生えたシーンが、撮影中にあった。
作品の内容に関わるのでここには書けないが、生と死の境目に立った瞬間を引き延ばしているような、本来は一瞬で過ぎていくから見られないことを引き延ばして見せてくれているような、そんな世界を、刀と刀を向き合わせるときに垣間見たのだ。

その世界では、やはり、「風情」がありのままの姿を見せてくれている。
感謝の意味を抜いた感情が、胸に広がる。
愛というものがあるとしたら、あのような世界なのだろうか。

ハルが見せてくれた世界には、共にBAKEMONOの創造に生きた仲間達の顔も鮮明に残った。
仲間。
共に、作品の命を吹き込む同志。
仲間たちの創造に向かう純度100%ぶりには、本当に感動した。
この仲間たちと、この現場で、たふる限りの力を尽くし生きている感覚を共有できたことは、本当に幸せだった。

たった一秒でも、1シーン1カットずつ、後も先も考えず、そのカットで死んでもいいぐらいの覚悟で飛び込む。
結果は見る人に委ねられているけれど、作り手側の結果は過程にあると思う今、深い深い感謝を感じている。

初期衝動こそ全ての少年少女たちが集まって、勝手に苦しんだり楽しんだり泣いたり怒ったりしている。
そんな現場だった。
そして、そこに生まれるドラマこそが、映画を創造する世界なのかと感動した。

大人になってからの初期衝動は、強ければ強いほど現実の壁は高くなる。
その壁を超えるほどの衝動は、どんな壁が迫ってきても止まることを知らないのだと思う。
その壁は、作品を観る人の心の中にも存在していることを想う。
その壁を超え、一人一人の心を動かせるだろうか。
それは未知数だけれども、クランクアップした今、これから編集が入り映画が完成した時点で “作品”としてこの世を走っていく。
作り手は、親として見守る他にない。
映画「BAKEMONO」の生命を仲間と共に吹き込めたことを、
今はただただ誇りに感じています。

2015/12/05 19:28 下北沢にて
OBA



写真:田中 伸二



#歩んで舞るSNS勝手に応援団ミツバチ軍拡散超絶感謝

2018年10月10日水曜日

課題


自己反省をしていた。

自分自身への課題を問うた先に、何故か我が国レペゼンJAPANの課題に辿り着いた。


自分は一体、なにやってんだろう。

踊りを追求し、生きている。

身体表現者というか、やはり自分はダンサーなのだと感じる。

この一歩から、舞うように生きる。


「 全ての〜労働を〜舞踊の範囲に高めよ 」 
- 宮沢賢治


キース•ジャレットが語っていた「音楽から音楽は生まれない。それは赤ん坊から赤ん坊は生まれないのと同じ。」という言葉の意味していること。

それは、生活から音楽が生まれるとのことだった。

生きる営みから、表現は生まれる。

生きる営み抜きにして文化は生まれない。


ダンスと向き合ってきて数十年。

約20年前、鎌倉駅地下通路の路上で踊っていた。
ショーウィンドウに微かに写る自分の姿を見ながら練習した。
僕の場合は「路上 - STREET - 」から、踊りのステージが始まった。

その時代にはストリートダンサー内でも「 スタジオダンサー 」という存在がいて、路上 - ストリートで踊らずスタジオで踊っている非本質的ストリートダンサーを小馬鹿にもしていた。(けど数年後、本場ニューヨークに留学したときに路上で踊りを「練習」している人なんて一人も居なくて唖然としたけれど。)

ともかく当時のダンス初心者である自分としては即刻にヤバくなりたいだけ。
スタジオだろうが路上であろうが踊り狂った。

ストリートで練習やセッションをするところから、稼ぐことにも興味を抱いた。

約10年前、バスキングメッカ オーストラリア メルボルンに仲間達と滞在して有料キャンプ場に無断無金で一ヶ月テントを張って(結果、バレて芝刈りをやらされる。)、路上に繰り出しては結構稼いだ。

稼いだ金で、そのままReoとインドに渡った。
Reo Matsumoto、S.E.Pというセッションチームで共にオーストラリアで熱いバスキングを共にした同志、仲間。

彼のビートボックスに対する熱意は凄くて、タブラ屋さんのヤベー若手演奏者とジャムセッションしまくっていた。
なぜか当時世界一周の旅をしていた弟 小畑 仁とバラナシで再会した。
仁はラッパーだったにも関わらずフォークギターを片手に旅をしていた音楽にイカレタ実弟。
旅仲間2人の熱い日々に対して、僕は完全にクールダウンだった。
全然、自分の表現であるダンスにワクワクしない。。。
てか踊りって生きることじゃん。と思ってしまった。
それまで踊りを「追求」することに全ての「ワクワク」が存在していた。
なのに、そのワクワクを踊りに感じなくなってしまった。
踊りは特別のものじゃない。
誰のものでもない。
踊りは生きること。
人に魅せる為に踊ってきたことが非本質的であるように感じた。

踊りを稼ぐ螺旋から降ろそう。
今から8年前、当時24歳。
ネパール カラパタール。
稼いだ金もホボ尽きた。
ヒマラヤ山脈のフモトまで往復1週間、超特急で歩いた。
ゴール地点だったベースキャンプ場は恐ろしく寒かった。
調子こいて薄着だった自分は夜凍えていたけれど、どうしても星空が観たくて極寒の外に毛布を巻いて出た。
たまたま新月だった夜空には雲一つも無く、目線の高さまで星がウズまっていた。
今までの人生で、あそこまでヤバい星空は今日までまだ観ていない。
生きることで踊ることは成立しているんだと感極まり圧倒的パノラマビューの星空にむかって「生きる」と叫んだ。


それから二年半、まったく踊らなくなった。

身体も変わった。
まったくHITが打てなくなってる。
キレもない。
なぜなら二年半完全にデスクワークすなわち設計士として働いていた。

そんな状態で久々に踊ったのが、ジャストデブー2012だった。

久々に大音量で音楽聞くと、アガった。
身体が勝手に動く、踊る。
むしろ、踊りを練習していた頃より鮮明に踊れる。
身体以上にココロが踊っていることを強く感じた。

音楽が音楽からは生まれないように、
踊りも、踊りからは生まれなかった。

しかし、熱が入った。

やっぱダンス、楽しい。。。

今から6年前だった。

それから今日まで。
ダンスへの初期衝動(ワクワク)は完全復活し、様々な稽古を積んだ。
鎌倉から島根、滋賀まで本番舞台へ向けて、一本歯と地下足袋で歩いた。
下駄という道具はじめ、日本人には特有の身体感覚が存在していることを強く直感し歩き体感した。
徒歩をもち先人の身体感覚を学んだダンサーとして「日本人身体蘇生論」を論じようと決意した。

また、 VS 巨人。
廃墟や巨木を巨人に見立てて解体なり手入れもした。

意味不明かもしれないのだけれど、無意味ではない。

ここ最近。
それぞれの点と点が、繋がり始めている。
ちょっと、これはヤバい可能性が観えた。


去年春、鎌倉から島根まで歩んだ道中で強く学んだこと。

日本が抱える諸問題の一つ

「 空家廃墟化問題から発す過疎化問題 」

ダンサーであり二級建築士でもある身として鎌倉から島根までの767kmを歩きながら通りかかる街並はランドスケープデザインとしてインスピレーションを受けた。

ただ、それが単なるインスピを越えて危機感に代わった。

関西の山奥にあったゴーストタウンを歩き通った。

完全に廃墟となっている家から、廃墟になりかけている家まで。

晴れ渡っていた青空のもと、空風とはこのことかと思った。

ヒトが出入りしなくなった家は劣化する。
風を通さない空間は鈍っている。

日本は人口が減っている。
若い人間も減っている。
スマホ現代人は身体感覚が鈍っている。
そして
過疎化の意味するところは
自然が国土を取り戻しにかかっているということ。

島に住むローカルの人口が減っているんだ。
観光客増加は数の内に入らない。
島にヒトが減れば、そのぶんムラは減る。
ムラは元々、山々森なり自然だった。
ヒトの身体は自然に還る。
それはヒトが生み出したムラも同じ。

人口減少の道には、必然性が宿る。

廃村した空間は、緑となる。
当然な自然原理だと思う。

しかしヒトの手が入った時点で、もうすでに原生林ではないのだ。

歩いて横目でみたツタにおおわれた廃墟は、悲しげだった。

そう考えると過疎化は自然原理でありつつも「課題」であることにキづく。
放射能から除草剤まで人間は「ツチ」の自然秩序さえも狂わせた。

自然に還すにも一手間の責任が存在していた。


これから確実に少子高齢化を辿る現代日本の課題。

『 空き家廃墟化から発す過疎化問題 』

具体的に身体を動かし自然と向き合い掃除のできる肉体労働者が求められるていると感じる。

過疎化問題に対し、若い世代特有の実体的でない「シェア」なりの方法で蘇るムラもある。

ただし現実問題、過疎化を逃れない空間も存在していた。( 実際に歩いて初めて知った。)


「 〜全ての〜労働を〜舞踊の範囲に高めよ 」
-宮沢 賢治


男性ダンサーが、肉体労働をして美しい仕事ができないなんて、説得力がないと思った。



僕は現在、『 空舞師 』を目指しています。

空師×舞士 = 空舞士



それまで書いてきた内容と相対してそうで、全くしてないようにも思えますが。。。

すなわち、自然を相手に踊りはじめました。

自然とセッションするダンサー。

自然と向き合う具体的な労働の結果、自然を表現し踊る。

それが今日までの課題に対し、どのような貢献を生み出せるかは未知数です。

ただ、イマ ココでやれるコトにベストをツクすのみ。

自分なりのアンサーとして、ここ数年で世へ具体的に表現するよう修練して舞る。



one step one life
OBA



「 ハルトシュラ ジョ 」
used : 色鉛筆


2018年10月8日月曜日

「シ」について

OBAIGAラジオでも問いた「シ」について

このアンサー、やばすぎILL。

BIG RESPECT
光瀬 龍
萩尾 望都
「 百億の昼と千億の夜 」

OBAIGA with ジミーの画像、リスペクトを込めてサムネイルこれに変更です。




one step one life
OBA

2018年10月1日月曜日

ルドルフさん

ルドルフ•シュタイナー ドイツの哲人であり現代でいう究極的マルチアーティスト。

哲学から建築、医学、農業まで幅広い表現に、当時二十歳だった僕はクロスカウンターを受けたような衝撃をくらった。

なかでも舞踊分野にも彼の表現は展開していたことが非常に面白く「オイリュトミー」というオリジナル舞踊。

日本を代表するオイリュトミストでありDOPE極まりないダンサー、笠井 叡氏。
4〜5年前か。当時バリバリのストリートダンサーだった僕は軽いノリで知人にススメられた舞台を観にいった。その舞台公演が「日本国憲法を踊る」作 笠井 叡だった。
人の踊りを観ていて身を乗りだしたのは数少ない。にしても身を乗りだすしかなかった。なぜなら人が踊っていて具体的に舞う手の先に光の残像を観たんだ、本当に。
これは幻覚かって普通に思った。
ただ、幻覚かどうか以上に舞う手の先に身体動作ではおさまりきれない次元というか時空というか、、、そのようなシュタイナー的には‘エーテル体’、日本では合氣道を代表して‘氣’、更にはスターウォーズでいうところの‘フォース’というのは存在するのかもしれないとアラタメ真剣に考え始めた。
そこで先ずフシギに思うのなら即行動。
具体的に笠井さんのレッスンを受けに行こうと決意した。
「即興ダンス」についてのレッスンだったように思う。あれは中野だった。あの時の笠井さんのレッスンにはフタタビ衝撃を受けた。バトル(時にはショーケースやDJタイム中に踊り狂ってる時等)でトキに体験する、踊りが導く真っ白な世界。
その世界に入ると空間を共有する観客からジャッジ、バックDJまでも含めて‘ワく’。
その世界を「ミラクルゾーン」と当時のストリートダンスシーンでは呼んでいた。

笠井さんのレッスンでは「ミラクルゾーン」をミラクルとして起こすのではなく「自在」に起こすということであった。今までミラクルゾーンはミラクルらしく、ミラクルにまかせるしかないと諦めていた自分としては衝撃でしかなかった。
そうだよな、人間は諦める手前に追求した結果、電波も飛ばして売ることができるようになったんだもんな。踊りのミラクルゾーンも鍛錬によってミラクルではなくなるのかもしれない。
そこで当時はストリートダンス仲間たち数人で天使館によく踊りに行った。

実は笠井さんとの出会い以前に、高橋 巌さんの講義を町田に受けに行っていた。

その流れは自分でも謎でしかないのだけれど、単純にシュタイナーのドイツ語を日本語で表現した文章があまりにも凄くて訳者である高橋 巌さんに深く興味を抱いた。
そこから色々調べると町田で講義していることを知り、受講していた。
講義内容があまりにもDOPEで頭がふっとぶような思いになること多数だった。
あまりにも面白くて当時、毎週通っていた。
なんだか高橋 巌さんの講義を受けていると心が踊った。
当然座学だったが受講後はダンスレッスンを受けたような爽快感を感じた。
講義後の喫茶店での高橋 巌さんとの会話で、「オイリュトミー」を知った。
そして、その数年後に笠井さんに学びに行く御縁の連鎖には本当にフシギだなと感じる。

尽きるところ、なにをブログで共有したかったというと、、ルドルフさん原文 - 高橋 巌さん訳の文がやばすぎILLということ。

最後に、その言葉を残して本日の嵐夜はアケボノ時刻へと移り、今日もまた日が昇ります。


「〜自己に沈潜(ちんせん)し、自己と語り合い、自分にふさわしい生活信条を確立し、自己を吟味(ぎんみ)し、経験的な知識に思考の力を浸透させ、諸々の義務について思い巡らし、人生の意義と目的について反省する〜」
ルドルフ シュタイナー / 訳 高橋 巌


DOPE,,,


one step one life
OBA