2017年5月3日水曜日

美しい路

美しい路に生きたい。
どれだけ醜く汚らわしい路であったとしても心は美しくありたい。

美しいというのは、一体なんの根拠をもって定義できるのかは各自人それぞれだし謎。

けれど、美しさというのは本来は普遍的であるのではないかという直感に目を背けることができない。
例えば、朝日から夕日、どこまでも広がる晴天や光り輝く緑の山々や心と共に解放される水平線などに対し汚らわしいと思うのならば、その心が汚らわしいというのは間違いないのでは と感じる。

美しいという言葉自体が死語になりつつあるのに対し、愛という言葉も現代では死語になりかけてはいないか。

愛という心情・情景を感じるのには難しい日々を過ごす中では、愛という言葉を受け取った時点で胡散臭く感じてしまうのも仕方がない。事実、私も愛という言葉を発すること自体、勇氣がいる。それは私自身が未だ弱いのか気にしすぎなのかはわからないけれど、事実人々の反応は賛否に分かれるのを感じる。

けれど、それでも、どれだけ美しさや愛が否定される時代であったとしても、各自が持ち合わせる美しさや愛は正義という普遍性へと繋がっていることを信じたい。

情報媒体では緊張感の漂う現代の中、実際の日本の実情を直視したとき、これ以上のない平和が目の前に広がっている。

情報の中での緊迫状態に対して、目の前の現実のギャップに違和感を覚えるのは私だけだろうか。

この情報内での緊張が、現実となったとき、間違いなく混乱となる。

その混乱となるとき平静さに導くタスキとなるのが、その人本来が持ち合わせる誇りと愛なのではないかと思う。

私が一番、心配しているのは平静さを失うことであり混乱となった暁、隣人愛を失うことだ。

ダンサーとして、このような発言は避けていたいけれど、これから表現者として生きていく上で、かつての激動を生きた藝術家がそうであったように、表現の裏側に存在する意志からなる『想い』を発すことは、これからの時代、重要になってくるのではないだろうかと考える。

この地球は、美しい。

この世の美しさを身体で表し現ることにより、ダンサーとしての使命を果たしたい。

これからの時代において、美しさと愛をもって、どこまでも諦めずに踊り即ち身体表現を創造していかなければならない。

その作品の一つとして、3月28日から4月24日までの28日間による鎌倉から出雲までの徒歩移動。
歩むこと、二足歩行、この身体運動は世界人類共通事項。

この『歩むの再生』そのものが、ダンサーとしての急務と考え実践に移した。

人間は一度決めた目標地点に一歩踏み出し、諦めず歩み続ければ必ず到着できる。

歩むの再生は、自身が持ち合わせる意志と氣力への信頼再生でもあると考える。

美しさと愛による平和への希望を失ってはいけない。

そのために、先ずは私は鎌倉から出雲まで歩んだ。

この歩みにより学んだ実体験を、ネクストステージで表現していくことが次たる目標。

一日一生、初期衝動をもって一歩一歩を大切に、心は不動で有れ。

我が路、美しさと愛をもって歩み続けて参る。

peace & one love

小畑 大左衛門



[ 愛による平和 ]

世界人類共通事項、二足歩行。
二足歩行すなわち「歩む」という歩行移動は、全人類共通移動手段。
現代、車から宇宙船まで移動手段には困らない時代に
約700km以上となる鎌倉から出雲までの移動手段を「歩行移動」とする。
結果、3月28日から4月24日までの28日間をかけた徒歩移動となりました。
徒歩移動をしました私 小畑 大左衛門(31歳)と同志 大宮 大奨(29歳)は、生まれた頃から車が存在していた時代に育った現代人。
遠出をするのなら歩むより車か電車を利用し、徒歩移動の概念を失っている軟弱な現代人代表三十路世代。
かつての先人は博多から江戸まで徒歩移動していたという。
歴史では事実とされているけれど、、、冷静に考えて「それって、めちゃ凄くない?」と思う。
その先人は、歴史を動かすほどの意志を持って約30日間を徒歩移動に費やしたのだ。
単純に、かつての先人が実現できたのなら身体を持ち合わせているという点と歩むという点は現代人である僕らにでも共通している事項である。
ならば、徒歩移動を忘れた現代人の僕らでも、できるはずだ。
しかも、僕らは今日まで15年以上ダンサーとして身体と向き合ってきたのだ。
鎌倉から出雲まで歩むことが出来ない、はずがない。
(しかし実際に歩み始めると、どこまでも先人は凄すぎであることを痛感する。)
現代において移動に時間をかけた時点で、慰安旅行か世捨て人とされる。
しかし、かつて交通機関が存在していなかった時代において、
徒歩の遠方移動は意志と氣力と体力こそが試される正念場であったと今だからこそ理解する。
バーチャルがリアルに、リアルがバーチャルとなっている時代。
目の前に広がる風景を見る手前に、液晶画面に目を奪われる時代。
鳥の鳴き声を聞く手前に、イヤホンで耳を閉ざす時代。
この時代だからこそ、僕らは人情と豊かな自然の優しさから成る愛による平和を全身を持って体感したかったのだと思い出を振り返る。
時代も人種も関係のない共通事項である「歩む」という身体運動/身体表現。
到着するまでの28日間の間、想像を超えたリアル人情ドキュメンタリードラマを僕らは生きました。
雨に打たれ風に吹かれトンネルの闇に数時間耐え寒さに骨の随まで冷えきって凍死寸前を体感しつつ野宿をする日々。
人の情けと晴れやかな温かくも豊かな自然たる万象の助けが無ければ、期限付きの700km以上の旅路は絶対に成就し得なかった。
出雲に着き、心に残ったのは「全てにおき、感謝」でした。
鎌倉から出雲 徒歩の旅 成就まで本当に多くの人々に助けてもらいました。
この感謝を還元する意味においても、3月28日から4月24日までの28日間リアル人情ドラマドキュメンタリーを文字化します。
紙に印刷して「本」という物質(リアル)で共有できるようにベストを尽くして参りたいと思います。
長くなりましたが、何はともあれ皆様のお陰で4月24日!
鎌倉からの徒歩の旅、出雲大社到着いたしました!!!
心から感謝を申し上げます。誠に、ありがとうございました。
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歩みつつ
どんなに足が痛くても、なんとか踏める一歩は確実に目標地点へと近づいている。
どんなに辛くても、噛み締めて踏み出す一歩こそ振り返れば自信に繋がっている。
一歩一歩を大切に、心は不動で有れ。
one love
小畑 大左衛門
ps
ご報告遅くなり申し訳ありませんでした、、、数日、放心状態でごぜいました。
peace




Photo by Yoshihiro Saeki