2019年8月13日火曜日

『人はナゼそれでも踊るのか。』


人はナゼそれでも踊るのか。

その言葉は、『人はナゼそれでも生きるのか。』と同等と考えている。

踊るという行為は、この身体で音楽なりに合わせて『動く』ことを意味している。

音楽を通して心が踊るとき、自然に身体が『揺れる』。

この揺れが踊りの本質の一つと考える。

日常だれしも苦しみや不安を抱え生きている。

その苦しみや不安に完全に包囲されると無気力になる。

無気力になると人は動くことをやめる。

無気力の状態で踊ることは本来不可能に近い。

ただ、無気力な状態で自分の本当に好きな音楽を聞くと僕は安らぐ。

その安らぎに身を任せたときに、自然と呼吸は音楽と共にある。

呼吸が音楽と同調したときに、また自然と身体は揺れ始める。

その微細な揺れは、無気力状態であった身体に気力を取り戻す。

気が晴れる。

踊ると気が晴れます。

調子抜群のときに生きていることを鼓舞する。

その逆もある。

気が晴れない無気力状態で二進も三進もできないときに、踊るダンスもある。

それは難しいことだけれど不可能ではないのかもしれない。

自分が安らぐ音楽と環境に身をおくことによって、静かに身体は揺れ始めているかも。

その微細な揺れこそ、気力の芽生えかもしれない。

踊りは生きる肯定に他ならない。

そう信じてる。

だからこそ踊りが生きている肯定を意味しているのではなく

今日も生きるため、僕らダンサーは踊っているのだろうと考える。

生きるために、踊っている。

踊るために生きている以上に、生きるために踊りつづける。

人はナゼそれでも踊るのか。

人はナゼそれでも生きるのか。

踊りと生きるは同等の意味と考える。

ただ、生きる基礎の上に踊りは成り立っていることにきづく。


OBA


明日もPOP基礎練会宜しくお願い致します。
8月、9月ともに毎週水曜日21時より登戸cloud9studioにて間違いなく実施しております。




0 件のコメント: