2019年12月20日金曜日

『 木の葉に驚愕することから。 』

犬の精脈に嫉妬していた土方巽が没した1986年1月21日。
その約三ヶ月後の1986年4月1日に僕は生まれた。
勝手ながらバトンを受けとたった踊り手の目線の先にあるは木。
木の葉が露わにする個別化の原理は、今もなお僕を驚愕させる。
大ケヤキの太い枝に横たわり寝ていたとき、樹皮の内側からパキパキと音が聞こえた。
当然、僕の体重負荷で鳴っている訳ではない。
両手を広げても届かない幹。
そこから生ずる、この太い枝は表層的には動いていないように思えた。
ただ、ずいぶんと先にある枝先が風に揺れていた。
見上げれば枝葉は揺れ、その振動は幹にまでパキパキと伝わっていた。
どの木もせわしなく内側で揺れ動いているのか。
そう思うと静物であると思われた樹木が他人事ではなくなった。

どのようなときでも空は広がっていた。
晴れ渡る青空。
青すぎてつかみどころがない。
美しいと感じる風景と出逢ったときに、ハっとシカと観ていないことにキヅク。

見ているようで観ていない。
心にまで、その美しいと感じる風景が届いていない。
風景が情景となるまでには距離があった。

鏡に映る自分をワり続けて、今ここにいる。

外に期待をせず、己に自信をもつことができるのか。
全ては自分の技術のためとヒドリを涙で受け取れるのか。

手の平に浮かぶ線が、地層にみえる。
手相は個別化の原理を露わにしている。

木の葉に浮かぶ線は手の平の線と同じく、どれひとつとして同じ流線は存在しないことを教えてくれる。

クライングベイビー。
泣きながら生まれてきた僕らは、笑い声を上げることができる。

コインロッカーベイビーズが流行る時代は過ぎたんだ。

地球の今後は、今を生きる世代で決まる。

インターネットに映る全ては、過去。
SNSでのライブ配信も、刹那単位で過去として届く電波。
全ては、過去。

今は、ココ。
この文字も過去。

コレノコト、概念化する以前そのものを体感するは今ココのみ。

書物はもちろん、スマホも全て過去の産物。

リアルは今もココ。

未来はイマジン。

思考するゼロ地点。

全ては幻想という幻想。

死にかけたときにみえた目前の黒点。

あれは確かに左に渦を巻いていた。


OBA



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