こちらは、去年出雲から地元湘南へ帰って来た当時の写真です。
ともに写っているのは、短編映画「ヒノイリの風」のテーマミュージックを担当した
地元湘南のパイセンでもある地球音楽士 宗田悠氏。
見てもらえれば分かるのですが、一本歯も大分けずれ眉毛も無くなりました。
(眉毛は撮影の関係上ですが。。。)
ともかく、鎌倉から出雲への旅が終わりました。
この後、僕は次なる舞台に向け修行に入ることになります。
その修行先は、伊豆稲取にある元旅館廃墟。
廃墟を「巨人」として見立て、バーベル片手に一本歯を履き
壁天井を壊しまくる。
「解体ダンサー」です。
事実、その廃墟は地元で有名なオバケ屋敷。
鎌倉長谷SeeSawというスタジオもそうだったのですが、
僕は何かと、オバケ屋敷と御縁があるそうで
伊豆のオバケ屋敷なる廃墟旅館も中々、凄まじかったです。
ただ当時、次なる舞台が「巨人」がメインテーマとなるため
いかにして現代に「巨人」を感じ、そして「巨人」と具体的に戦えるのか。。。
鎌倉から出雲まで歩み鍛えた身体を具体的に活かし
次なる舞台へと展開することの出来る修行先。
まさに、うってつけでした。
なにかに取り憑かれるように、ひたすら破壊行為を繰り返す日々を
伊豆稲取で過ごしていた中。
とうとう、野々宮神社 中島伸男宮司(83歳)が再登場します。
かつて歩んでいる道中、電話越しで
「我が野々宮神社の拝殿で、舞を奉納しませんか。」
というお話を受けて数ヶ月後。
なんと、中島宮司が伊豆まで来てくれたのでした。
(眉毛生えました)
わざわざ滋賀から伊豆まで来た背景には、
直接しっかりと野々宮神社での奉納舞について
正式にご依頼したい。とのこと。
熱い。
終戦を体験した男。
中島伸男 83歳(当時82歳)
目の奥行きの深さが、凄い。
今回、若い現代的な舞手に奉納舞を神社側から依頼することは異例だとのこと。
野々宮神社の長い歴史の中で、拝殿での奉納舞は能や神楽、獅子舞など。
今日まで、現代的な踊りの奉納舞は前例が無いとのことでした。
前例が無いことを企画化する。
すなわち0から1の創造行為。
長い歴史を持つ場での新たな創造行為には大いなる勇氣が必要だと思います。
80歳を超えてもなお、挑戦しつづける姿に心から感銘を受けました。
中島宮司が僕に奉納舞の依頼をした背景には
「若い現代的な舞をする小畑OBA大左衛門の奉納舞公演を企画することにより、
若い世代に神社をより身近に感じてほしい。」
かつて600人ほどいた氏子の数が
ココ数年で400人ほどにまで減少してしまったとのこと。
少子高齢化の影響もある中、
それ以上に神社と若い世代の距離が遠くなっているからではないか。
この神社離れの現状を、今企画で少しでも解決していきたい。
さらに、
中島宮司(83歳)は、
野々宮神社の宮司として
今回の小畑大左衛門 奉納舞公演 企画が、、、
「人生最後の仕事 - Life Last Work - 」
だと思っている。
とのこと。
。。。
大義すぎる。。。
この言葉を受けた私、小畑大左衛門は
光栄なる想いと感謝を胸に潜めつつも
ただただ、身体が震えた。
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