2018年6月10日日曜日
Tree of Life
「 アメニモマケズ-Tree of Life - [ア] 」
paint : OBA
use : Japan Brush
style : カタカナハカタナ(original)
想う事。
イメージする事。
内面で働きかける色々な事。
内で響く声は、誰の声。
自分の声なのか、それとも他の声なのか。
大体、自分の場合は内に響く声やイメージは外側の影響を強く受け易い。
電車の広告を見たら、その広告の印象や文字が脳みそに残る。
心で感じたことも無意識に響いている。
電車内の液晶パネルで流れるCMの印象やニュースの印象。
都には情報が溢れている。
外を眺めたら、ビルが見える。
そのビルの広告板に埋め尽くされた情報や画像。
風景にも情報が溢れているバビロン。
興味が無くても、今その影響は内に響かせたくないと想っても。
視線に情報が入れば、脳を含む身体感覚は反応する。
そして、影響を受ける。
スマートフォンを持っていない人間の身体は現代では過敏症と呼ばれてしまうのかもしれない。
ただスマホの液晶画面から目を離した現実の風景に意識が集中することは、[今]に五感が開かれることに直結している。
僕らの生活には、かつて。
液晶端末は存在しなかった。
産まれたとき、あるのは、この身体のみだ。
僕らは魂を持っている。すなわち内面性を持っている。
その内面性に対しての外面性は、この身体。
外面性すなわちハード。
さらにいってしまえば身体は魂の道具(ツール)といっても過言でないと最近、感じる。
この産まれた瞬間、持ち合わせる身体というツール。
所有物として僕らは死ぬまで身体を持ち合わせる。
死んだあと、どうなるかは分からない。
ただ、死ぬ直前まで、この身体は存在する。
最後まで続くツールは、なによりも先ず身体だと想う。
絶対に無くさない、唯一のツール。
この身体。
身体表現を使命とする我が人生にとって、長く道具のいらない表現方法と認識してきた。
道具のいらない表現である、ダンス。
ずっと続けてるときづくことがあって、踊りも身体が無かったら出来ないんだなーと想う。
この身体が存在するから、今日も踊れるのだ。
この身体が存在しなければ、僕らは踊れない。
道具が無くても可能な表現方法、ダンス。
ただし、この身体が存在しなければ表現は出来ない。
誰にとっても唯一無二、身体。
誰しもが必ず持つ、身体。
きってもきりはなせない、ツール。
生きている限り、このツールと向き合わざるを得ない。
全ての人間が共通する事実。
それぞれの身体と向き合って生きていかなければならない。
この身体は、有機質なのだ。
血液が流れている、自然のものだ。
この身体は、万象の一つ。
身体そのものは、自然と一つ。
ある人は、もう身体の一部が機械化しているかもしれない。
けれど、産まれたときは全ての人々は生物極まりないと想う。
人間という生物を生きる僕ら全ての人類へ。
アメニモマケズ
カゼニモマケズ
ユキニモナツノアツサニモマケヌ
ジョウブナカラダヲモチ
アメニモマケズの詩は、まるで[ Tree of Life ]だと想った。
木から学ぶ、生。
このアメニモマケズの全詩を「Tree of Life」として絵画表現している。
Tree of Lifeから木の究極的な静止ノ美を学ぶ。
すなわちtree of Lifeを身体感覚として学ぶ。
Tree of Lifeは、Tree of Danceへと繋がる。
このTree of Dance「静ノ美」を極めて舞ること追求し、発表する。
時は近く。
今月にも舞台機会を得ていますので明日、公表させていただきます。
ともあれ表現追求に火がついています。
カタカナハカタナという勝手に生み出した画手法をもって、絵画作品創造にも力を入れています。
ここ最近、絵画作品を購入してくれる方がチラホラ。
地味に、且つ確実で正しい嫁入りをしています。
もし我が作品を欲しいという方がいらっしゃったら御連絡ください。
ともあれ、one step one lifeを生きてまいります。
何卒、よろしくお願い申し上げます。
「 アメニモマケズ-Tree of Life - [メ] 」
paint : OBA
use : Japan Brush
style : カタカナハカタナ(original)
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