2018年3月21日水曜日

【 歩んで舞る。 】episode two

中島宮司からの出逢いから旅の話に一旦、戻ります。


鎌倉から出雲までの28日間徒歩の旅。

この道中、本当に色々ありました。

ともかく人情物語の連続。

時には、

焼き肉屋の親父さんに他人丼をご馳走していただき宿を提供していただけたり

時には、

設備工事の親方が帰宅途中ぼくらが歩いている姿を見かけ、彼の自宅に泊まらせてもらったり。。。

旅の語源に「他人の家の火を使う」即ち、他火。

まさに、他火の有り難さを骨の髄まで感じる徒歩の旅。

人情という無条件なる人間愛を、心より体験させていただきました。

リアルな人情物語を現代を生きる若者の一人として、あまり体験したことが無かったように思う。

とくに現代、ネット社会において「リアルな日常体験」が稀になってきている中。

この28日間の人情物語は、どこかで必ず人は生きていて、人は各自それぞれのドラマを生きているという事実を深く学ぶ日々でした。

人一人ずつのドラマすなわち映画を、人一人ずつが生きているのだ。

私を私と言えるのは私しかいない。

当然な自分という唯一無二の存在を改めて認識したとき初めて他人という他者を認識し、同時に自分一人では何もできないことを痛感する。

自分の顔なり背中は一生、自分の生目で見ることはできない。

もちろんカガミなり映像、写真を通して見れば見れるのかもしれない。

けど、この二つの目。すなわち生の目で、自分の顔なり背中を直で見ることはできない。

自分を直で見ることが出来るのは、向かい合わせに存在する他者の生目だ。

自分の代わりに、一生見れない自分の顔や背中を見てくれている他者。

舞台で踊る人間としてツクヅク感じることがあります。

それは、

ステージで踊っている自分の姿は一生、自分では見れないこと。

映像で見ることはできる。けれどライブで自分の踊りは見ることができない。

当然な事実だけれど、ふとたまに思う。

自分が踊っている姿を生で見てみたい。
別にこれはナルシストとかじゃなくて、、、反省点を打ち出す上でのチェックがしたいという想いが中心ではありつつ、、20年ほど踊ってきて一度でもいいから生で自分の踊りを見てみたい!って純粋に思うんです汗 悪しからず。

ステージで踊りながら観客席から自分を観ることは生涯、無理。

しかしステージで踊りながら見える光景は、観客一人一人の姿。

そこで、思う。

一生自分では見れない自分の姿を、お客さんが見てくれているのだ。

お客さんの目を通して、記憶を通して、自分を見るのだ。

ならば、見ていただいている自分の踊りなり姿が自分で観ても恥ずかしくないよう

One Stage One Life

一つの舞台に全命をかけることの意味が、より深くなる。

って!!大分、話がそれましたが尽きるところ

旅における心得として、
人は一人では生きれないことを深く学びました。

次回は、学んだ心得に対し具体的に得た身体結果についてを書きたいと思います。

心というソフトに対して身体というハード。

この順を追わなければ、また歩む意味に繋がっていかないのでゴワス汗

引き続きCheck it out 




一舞一生 - one step , one life - 

小畑‘OBA’大左衛門

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