2018年4月1日日曜日

32年前の今日、地球に生まれた。


32年前。

1986年4月1日の正午。

わたくし、鎌倉市腰越中央病院で生まれました。

本日はエイプリルフールですが、嘘ではありません。

誕生日がエイプリルフールということで
存在自体が、嘘とは言わないください。

誕生日というのは不思議で、

人であれば一年に一度、必ず迎える祝日でもあります。

誕生日って、今日までの人生を振り返る好機でもございますね。

僕は、ここ数日ひたすら人生を振り返る日々が続いております。

今日まで更新しているブログで、
14年前のニューヨークバトルライフにまでさかのぼっているし。。。汗
知らねーよって。

というか、なんで、また歩くんだろう。。。

よくよく考えれば、去年だって何で鎌倉から島根県まで歩いたんだろう。。。

いや、もちろん映画のためだし禊のためなのだけど。。。

にしても、なんで歩いたんだろう。
というか、どこからそこまでの熱意というか、、、執念というか、、、

なんだか最近、自分が自分でも分からなくなってきました。

歩くといったって、いわゆる人生探しの無期限的な「旅」ではない。

明確な期限付き。
目標は、長い道のりの向こうにある「舞台」です。

僕は、「舞台」で踊るために何故わざわざ18日間をかけて鎌倉から琵琶湖までの445kmの道のりを歩こうとしているのだろう。

ただの、バカなのかもしれない。

いや、完全にそうだな。

一緒に同行する、プロデューサーいがらし しんちろも東大出身とはいえ、
完全なバカに違いない。


僕らは、完全なバカなのだ。

そして、不器用なのだ。

僕も今日で32歳。

決して、若くはない。

年齢でいったら青年ではなく、成年だ。

32歳の僕OBAと34歳のいがらしIGA。

バカという自覚はありつつ

やっぱり、歩く。

どうしても、歩くんだなー。

どれだけ自分でもバカだ、、、と思っても

歩くしかブレイクスルーを見出せないんだ。

現代の様々な諸問題におけるブレイクスルーすなわち突破口が
「徒歩」すなわち『徒(いたずら)に歩く』行為である気がしてならない。

その意味は語れば、いくらでもあるのだろうけど。
それ以上に、「歩く」ことがもつ可能性のヤバさに対して
もう直感8割な感じがしている。

身体が先に、感じている。

いつも、そうなのだけど。。。

今の時代に、僕は「歩く」ことで表明したいことは、ある。

VRをはじめとする仮想時代の入り口なる現代。

リアルとはなにか。

バーチャルに対する、リアルとはなんだろう。

生きた実感は、どこにあるのだろう。

すくなからずともスマホの液晶画面上に存在しないと思って、
ここ三年ぐらいスマホどころか、携帯持ってない。

人間の初歩的、身体活動である「徒歩」。

この徒歩をもって、リアルを表現すること。

このリアルを表現し体現し共鳴を生むことが出来るのは、

人間誰しもが共通身体感覚として共有する「徒歩」であると感じている。

そして、

ダンサーならび舞台人は、舞台を降りなければいけない時代に入っていると思う。

舞台から観客が離れていっている事実。

というかダンス舞台の観劇を趣味とする人とか、周りにいます?

あまりいませんよね。。。ダンス舞台で仕事する人間である僕の周りでさえも、

あまりいません。

冷静に考えると、「 ダンス舞台、毎週末観に行ってます。」とかいう人は
現代社会においては少数派であると感じます。

舞台の素晴らしさを伝えたい。

しかもダンス関係者ではなく、ダンス舞台に普段触れない人々にこそ。

舞台を仰ぎ観る時代は流れ去り、舞台から降りつつ、舞台の素晴らしさを
「普遍的」な行為をもって繋げていかなければならない。

ここ数年強く、そう感じていました。

その「普遍的」行為が、僕なりの出した答えでは「徒歩」でした。

路上を、着物を着て一本歯の下駄で歩んでいるとかなりの割合で声をかけられる。
(といっても、ほとんどご年配の方々や子供たちだけど。。。)

僕は、その時、ああ、、そうか、この路上という舞台で僕は徒歩という舞を踊っていると言っても過言ではないのだろうか。

yes

step by walk to be Dancing!!!

dope,,,,


舞台を降りた先は、歩む道中である「路上」。

もともとストリートダンサー出身である上、「路上」に舞い戻ったのだ。

舞台から路上へ降りて、歩み、路上から舞台へと上がるのだ。

この「歩み」が、舞台へと人々を繋げていく。

それが僕の出した答えでした。


そして車も電車も飛行機も存在しなかった百数十年前までは、
「歩く」ことは「目的を達成する」ことだった。

かつての先人は、舞を依頼された舞台先が遠方であった場合。

当然、歩いていっただろう。(というか、歩くしかない。)

その歩みそのもの全てを含めて、先人なる舞手の彼らは舞台に身を捧げていたのだ。

かつての先人ダンサーは遠方の舞台に向かうとき、絶対こう思っただろう。

『 我、我が足で、作品となる我が身を、歩んで届けまいる!!! 』

「歩んでまいる!」→「歩んで舞る!」

うをーーーーー!!!!!

って。。。

それを、わざわざ現代におこなおうとする僕らは、

そうだ、、、改めてバカなんだと思う。

ただ、バカにしかできないことがある。

そして、そのバカな在り方が、スマートな現代に少しでも癒しになったらいいな。

結局、壮大な感じ?の志は背景にあっても尽きるところ。

皆の笑顔のキッカケになれたらいいんだって想った、今。

そうだな、そうだ。

尽きるところ、そこなんだ。


僕らが、歩く理由は皆の笑顔が見たいからだ。

難しいことは結局、分からない。

人生の意味とは、分からない。

けど、分かることは僕らが歩いている姿を見て笑顔になってくれたらいいな。


そして、その延長にある目的となる「舞台」に一人でも多く観に来てくれたらいいな。

今回、依頼をしてくれた83歳の宮司 中島さんの想いは、
「若い世代に神社をより身近に感じてほしい。」

だから僕らにタスキをたくした。

僕は、その想いを受けて4月28日に滋賀県東近江市八日市 野々宮神社で踊る。


その舞台に向けて、バカらしくも歩み、我が身という作品を、届け、舞(まい)るのだ。

そうか、今日は誕生日だ。

32歳となりました私小畑 大左衛門。

誕生の時期にして、早速の試練。。。うう。。

ちょうど来週4月8日(日)から鎌倉を出発し琵琶湖へ向け、歩みだします!

そう、一本歯の下駄と地下足袋で。


どうか、皆様、、、度重なる試練の数々。。。
歩む道中に限らず資金難含め多くの試練の山あり谷ありのプロジェクトでございます。

どうか、皆様のお力添え、応援の程、何卒何卒何卒、よろしくお願い申します!!!

それでは明日からのブログは、「歩んで舞る。」エピソードシリーズへと戻ります。

引き続き、何卒宜しくお願い致しmAX!!!!


一舞一生 - one step , one life -
小畑‘OBA’大左衛門

【歩んで舞る。】特設サイト
(近日中、デザインリニューアルする予定!!!いえい!)
http://otona.be/ayundemairu/




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