2017年2月24日金曜日

踊る人


ダンスと出会って、今年で17年目となる。
中学三年生のときに出会って、今日までダンスから多くのことを学んだ。
ダンスと出会う前の当時、学校における自分の存在感の無さに違和感を感じていた。
教室にいると、なんだか申し訳ないきぶんになり、長居はできない。
スケボーに熱中していたけれど、スケボー仲間は校内に弟含め三人いるかいないか。

学校にスケボー持っていけないし、勉強も楽しいと思わないし、体育もやたら順番つけたがるのに嫌気がさしていたし。

そこで、出会ったのがダンスだった。
兄が5歳離れているので当時中学生だったけれど石川町の横浜産ウェッサイ G-Funk HIP HOPカルチャーには馴染みがあった。
たまに忍び込むクラブイベントで、男なのに、めっちゃかっこよく踊っている人々をみたときは、衝撃だった。

ダンスというと、もっと女の人のもの的なギリギリ昭和生まれ世代の僕としては、スキンヘッドで体をピクピクしてロボットダンス風の動きをしている漢をみて、即、憧れた。

そこで兄づてに後部座席ウィンドウも全て黒塗り車を持つ地元の先輩を紹介してもらった。
強面の車に対して、降りてくる兄貴は、今おもうと「ただの中二病」だった。

20歳手前にして母校である中学に車で遊びにくるって、今30歳迎えた僕からすると「大人そのものを象徴していた厳つい先輩も、ただの中二病な愛くるしいカス(良き意味で。)な大人だったんだ。」と思う。

その先輩から、初めてロックダンスを習い母校の玄関入り口ガラスに映る、踊っている自分の姿をみたとき、衝撃を受けた。

なんてダサいんだろう。

身体で表現することの難しさに取り憑かれた。

そこからダンスに熱中し、同校の番長も一緒に踊り始めたりした。

身体表現の難しさに取り憑かれてから
人前で初めて踊ったのは、学校の多目的室にて。

初めて、友達の前で踊ったときの瞬間が今もなお続いている。

人前で初めて音楽に合わせて踊ったとき、動いた、あのときの風。

それまで人だと思って接していた友達が、「踊る人」になった瞬間。

踊る側と観る側という関係性が、明確に生まれた瞬間。

それまで認識されてなかった自分が、踊りを通して新たな自分を人に認識してもらった瞬間。

今までの違和感が、全て消えた。

踊れば、人は喜ぶ。

中学三年の多目的室で踊ったときの瞬間は、喜びに満ちていた。

踊ったあと、友達が「 キレがヤバい。 」と具体的なジャッジをくだしてきたのを歯切りに、今日まで16年間 キレを追求してきた。

それまで自分という存在と社会における自分の存在感の相違に違和感を感じてきた。

言葉を必要としない踊り。

道具を必要としない表現。

我の身体そのもので表し現れる者。

身体表現者たるダンサーとして生きて行くことを決意してから今日まで、踊りは本当に多くのことを教えてくれる。

本当に限りがない。


最近は、踊りから、生きる上で大切な呼吸による健康や、姿勢の重心移動で腰痛は全て治るとか・・・健康面まで学んでいる。

是非、ダンサーとして、ダンサーに限らず多くの身体をもつ全ての人々と共有したい。

ダンサーによる健康促進実践秘話。

テーマ、「健康に一日一生。(仮)」


どうであれ、踊ることで救われた身として若年ではあるけれど身体と真剣に向き合ってきた。

その追求により、世のため人のためになる共有身体健康向上事項は多数あると思われ。

健康とは、身体たる健全と合わせ、精神面も合わせたことをいう。

姿勢を正せば、心も正す。

これ、真実なり。


感謝
one love



小畑 大左衛門

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